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もうゴール、してもいいよね

AIR、最後まで見ました。
夏特別編はまだみていませんけど。
それでは早速感想に。
〈AIR 1~13話〉
 見終わって初めに抱いた感想は「よくわからない」でした。
 しかし、鳥の詩の歌詞を見たり、総集編を見たりしているうちにだんだんと理解できてきた気がします。
 観鈴の「ゴール」とは、人間によって神奈にかけられた呪いから解放され、幸せな記憶を星に返すことだと考えました。
呪いによって哀しい思い出に縛られ、星に記憶を返すことができなかった神奈。彼女はそのまま長い時を経て観鈴に転生し、彼女が幸せな思い出を得たことで星に記憶を返すことができたのだと思います。これで、神奈の呪いの内、坊さんにかけられた方からは解放されたはずです。観鈴が死んでしまったのはその呪いではなく、人間の器が翼人には小さすぎたからでしょう。
 そして、AIRで鍵を握ると思われる、最後のシーンに出てくる2人の子供。
私はこれが観鈴と往人の生まれ変わりだと考えました。空に飛び立った「そら」はひとりぼっちでいた少女(つまり神奈であり、観鈴でもある)を見つけ、今度こそひとりぼっちにならなくて済むように一緒の場所に転生してきたと。目の前で母を失い、助けたはずの柳也の亡骸に縋り付いていた神奈の願いとは「誰かと共にあること」だったのではないでしょうか。つまり、哀しい輪廻という「無限の終わり」を見つけること。それは、往人も知っていたはずですが、観鈴とあったときには忘れていました。しかし、少年は初めからそれをわかっています。少年の「そして僕らには始まりを。彼らには、過酷な日々を。」という言葉には、「無限の終わり」を見つけるという、その決意が込められているのではないでしょうか。
往人と観鈴がいて、過酷な日々をくぐり抜けたからこそ、今の自分たちがいる。そのことがわかっているからこそ、少年は「さようなら」と言う誓いの言葉を呟き、しっかりと少女の手を握ったのだと思います。もう、手を放さないよ、ずっと。
 こうやって振り返ってみると、鳥の詩がいかに名曲であるかがしみじみとわかります。AIRという世界をこれでもかと言うほどに表す、良い曲です。そして、その他の音楽も素晴らしい。観鈴のゴールのシーンはもう反則的なまでにマッチしていました。10月からは同じKey作品であるCLANNADがオンエアされますが、こちらも大変楽しみです。あの京アニですからね。AIR、Kanonを越える感動をお待ちしています。

それでは今日はこのあたりで。また明日。

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